「なんで音楽やってるの?」って訊かれるの、実はずっと嫌だった。
なんでと言われても生きてるからだし、到底伝えきれないし、正直なところわたしにも今ひとつ良くわかってなくて、言い訳のように収まりの良い言葉を口にしては、その違和感の跳ね返りで体調を崩したりしてきた。
言葉にできるかな。
この前の舞台で体験したこと、感じたことを言葉にしてしまうのが少し怖い気もする。
丁寧に翻訳したい。
でも間違うことを恐れないでいよう。
言葉にできなかった大切なことは、いつかきっと未来のわたしがいい感じにアウトプットしてくれると思う。
変わっていける自分を信じて今日を紡ごう。
この一ヶ月ほど、『老いた道化の肖像をめぐる幾つかの懸念』という音楽舞台劇に参加するために岡山に滞在していた。
画家・国吉康雄の描いた「ミスターエース」という絵をひとつの大きなモチーフとして織られた、家族の絆の物語。
そのお芝居の額縁となる音楽をつくり、生演奏するのがわたしの役目だった。
生まれて初めての劇伴、しかも生演奏。
テーマ曲を書き下ろしたのも、同じ曲で複数別アレンジのものを書いたのも初めて。
多くの人に出会い、学び、助けてもらいながら、大勢で一つの作品を編み上げていく時間を噛み締めて日々を過ごした。
そしてこの作品を披露した場所、Junko Fukutake Hall。
総ガラス張りの、開らかれた美しい空間。
このJホールと過ごした、束の間の不思議な時間のことを書きたい。
2回目公演と3回目公演(千秋楽)の間の空き時間に、アップも兼ねてギターを持ってステージに歌いに行ったときのこと。
偶然、突然ホールの中にわたししか居ない時間が発生して、そこだけぽっかり空いた、奇跡のような、わたしとJホールのためだけの空間が生まれた。
なんとなく「無題」を歌ってみた。ほんとなんとなく。
「なんて心細いのだろう、戻る道がわからない」
というフレーズを口にしたとき、
急に何かがこみ上げてきて、
なぜか涙が止まらなくなって、
そのままどんどん溢れて、
声が追いつかなくなって歌えなくなってしまった。
でも心は歌っていたから声を使わずに歌っていた。
曲が終わってもまだ何か、、、何だろうあれは、飢えというか、もっと吐き出したい、この空間の何かに聴いてほしいという想いがあって、気づけば「チューニング」を弾いていた。
弾いていたというか、ギターの最初の一音から身体が謳っていた。
きっと今まで弾いたなかで一番豊かにこの曲を弾いた。
なんだか声は外に出したくなかった。
だってわたしには自分の歌が聴こえていて、たぶんこのホールにも聴こえていて、わざわざ口にする必要がないと思った。
身体中の細胞が自由に謳っていた。
泣きながら、口は大きく言葉をなぞりながら、声はなく、音楽があった。
その脈打つ鼓動
声にならない叫び
同じ空気を食べていること
それ以上何も要らないほど
ひとつになりたい
ひとつになりたい
ひとつに
この最後のフレーズだけ声にして歌った。
必要なことだと思ったからそうした。
何かの儀式みたいだった。
歌い終わったとき、わたしはとてつもない安心感に包まれていた。
こんなに満たされることがあっていいんだろうか。
自分が何のために歌っているのか、歌ってしまうのか、わかった。
わたしはきっと、ひとを喜ばせるためには歌えない。
というか、人とか物とか空間とか、特に境目も区別もないみたいで、
そこに在るものとつながりたい、コミュニケートしたくて、
でもそのための言語をわたしは音楽しか知らないから、
そしてこの方法ならわかるから、できるから、
だから歌ってしまうんだと思った。
結果そのつながりのなかに喜びが生まれたらこの上ない幸せ。それだけ。
これはとてもしっくり来る。
わたしにとって、
何かを(それは感情でも自分や誰かのことでも何でも)表現するということは
自我を放棄してそのものになるということで
知りたいから愛したいからそれになる
それになることでしかつながることができないから
だからずっとこんなふうに歌ってきたんだなと思った。
表現することそれ自体が交流の手段だったんだと気がついた。
愛がないと、真心を注げないと心が壊れてしまうのはそれでだったのかと。
だからわたしは自分のために音楽を利用するのが嫌い。
お金や締め切りをモチベーションに曲をつくることができない。
集客を目的に告知とかしてしまうと心がゴリゴリ削れていく。
そういうの、“音楽活動”というか、もっと大きく“生きていく”ために時にはすごく大事なことなんだと思いはするけど、それよりも自分は今ちゃんと“生きている”ことのほうが余程に大切だったらしく、なんかもう建設的に生きることに全く向いていないんだなと改めて実感して、清々しい気持ちで笑ってしまった。
もうそれでいいやと思った。
生きていくために自分にとっての音楽という行為を濁らせるくらいなら、純粋なままわたしは飢えて死ねばいい。
でもこの世界をけっこう愛しているから全然死にたいわけじゃないです。
むしろ誰よりも生き伸びることに貪欲です(笑)
だからこれからも、心をこめて取り組める仕事をしたい。
たくさんたくさん音をつくって、大変で幸せな人生を歩んでいきたい。
今回の舞台で器になってくれたJunko Fukutake Hallは、
福武純子さんという方が岡山大学に寄贈されたホールです。
ホールの銘板にはこんな言葉が刻まれています。
「合理的で寛容でボーダーレスな出会いの場」
「自由で愉快なコミュニケーションを誘発する場」
「セレンディピティを生み出す場」
この素晴らしいコンセプトの恩恵を、わたしは今回のお芝居を通して身に余るほどいただきました。
わたしたちのやれたことが、貴女の御志に沿えていたなら幸せです。
もっともっと言葉にしたい想いが渦巻いてるんだけど、疲れてしまったのでまた今度。
読んでくださってありがとうございます。
幸せです。
饗庭純